おかしいだろう
先日何気なくテレビを見ていたら「蒸気機関車が復活」というニュースをやっていた。何でも数年前に老朽化して運転を中止したSLをうん億円だかかけて修理したのだという。こいつはおかしいと私は思った。
蒸気機関車が普通に走っていた時代を私は知っている。それがどれだけ汚いものだったか、沿線にばい煙は撒き散らす、すすで手は汚れる、トンネルに入るとき窓を閉め忘れると顔が真っ黒になったものだ。
今の時代の言葉で言えば、環境破壊と温暖化の元になるような時代錯誤のしろものを、ものめずらしさで集まる観光客向けに走らせているJRの商売を「あこぎだ」とは思っていたが、なにそのうち走れる機関車もなくなる事だし目くじらを立てるまでもないと思っていた。しかし、こういつまでもSLで商売ができるならば、そのうち「復古版SL」ぐらい作りかねない。
なんといってもマスコミの批判精神のなさには相変わらずあきれてしまう。「温暖化」に警鐘を鳴らす番組を作りながら、観光地に電球をたくさんつけて夜照らすと「ライトアップされてきれいです」と来る。SLにしてもマスコミが取り上げなければ、一部のすきものを集めるだけに終わっていたのではないだろうか。
道半ば
ダイエット宣言をして二月以上たった。思ったほどにはやせないのは、それだけ筋肉質だからという負け惜しみはおいておいて、何とか目標の半ばまで到達した。
アトキンスダイエットをはじめた当初は何とも言い表せない違和感があった。糖質を摂るのが減れば、脂肪が燃えて血液中にケトンという物質がでてくる。それが違和感のもとなのかどうかははっきりしない。ただこの時期思ったほどやせなかったのは、低炭水化物といいながら、ビールをやめられなかったためだろうと思う。旅先では仕方ないとして家では糖分のないアルコールに切り替えてからかなり順調にやせ始めた。
筋トレもだいぶ変えた。最初はただ数をこなせばいいというつもりでシャカシャカと腹筋、腕立て伏せをしていたが、ゆっくりとやると筋肉により強い負荷がかかることがわかった。休み休みやる腹筋100回で汗びっしょりになる。
最終目標はBMI25。体重÷身長÷身長で計算され25以上が肥満に分類される。どちらかといえば着やせするたちなのであまり目立たないが、それでも成人病の専門家がデブではまずい。
このダイエットの一番の効用は空腹感を感じないことだろう。それに元々お菓子だとかケーキだとかに興味がなかったし、おやつを食べる習慣もなかったので自分にあっているように思う。相変わらず、旅先での食事には苦労しているが続けられそうに思う。
ウエストが10㎝以上やせたのでズボンがだんだん合わなくなっているのが欠点といえば欠点だろう。
共感できないもの
東野圭吾のミステリー小説「容疑者Xの献身」が映画化されたというテレビコマーシャルが流れた。いくつもの賞を受賞したベストセラー作品というのだが、私にはそうした賞賛に値する作品とは思えない。
まず、確かにトリックはよく練られていると思う。私も最後までトリックの仕掛けにきづかなかった。しかしいくら小説の中の出来事だとはいえ、あまりに必然性がない。冒頭で起きる偶発的な殺人事件を隠すために、あのような複雑で、しかも自分自身ではコントロールできない人物に負荷をかけるようなアリバイ作りをする意味はない。事実そのために破綻する。
もう一つ、これはトリックの中身にふれそうなのでぼかすしかない(ぼかしようもないとは思う)が、殺人事件の被害者の無念だとか、生命の尊厳を全く無視している容疑者を「献身」だとか「純愛」だとかで呼ぶことへのとまどいがある。罪科のない被害者は、容疑者によって道具のように殺され、さらに犯人を追い詰める側からも殺された側ではなく、殺した側の容疑者に同情の声が挙がり、結果として虫けらのように二度殺される。私にはそれが死ぬほど恐ろしい。
共感の軸
以前から読んでおきたいと思っていた中西準子さんの「環境リスク学」(日本評論社)を読んだ。名前は一昔前、私がまだ「週刊金曜日」とそこに群がっていた自称「環境問題評論家」のほらに対抗して議論をやっていた頃、あるサイトを通じて知ったが、もちろん一面識もない。その当時からダイオキシンや所謂「環境ホルモン」(ほとんど死語に近い)についてバランスのとれた主張をする方だと記憶していた。
第一部、第一章は横浜国立大学での最終講義で自伝のような形になっている。年齢は1938年生まれというから私とちょうど一回り上。父親があの中西功、といってもこの名前を知っている人はよほどの物好きしかいないだろう。日本共産党の50年問題で党を除名された中国派の論客。親の影響もあったのだろうが、中学校の頃からマルクス主義の文献に親しんでいた彼女が、戦後勃興した化学工業が人々の暮らしをよくする事実に直面して、マルクス主義に疑問を感じて化学工業科に進学し、その後の研究者としての歩みをスタートされたという。東大の都市工学科の助手になって始めに手がけたのが、下水処理場から排出される重金属の問題。工場排水に含まれる重金属は通常の処理場では除去できない。やっているのはそれを薄めているだけだということをデーターに基づいて解明したら様々な嫌がらせを受けたという。ここらあたりは下手な小説よりおもしろい。
この後中西さんは「環境リスク学」という分野の先駆けとなる。この本を読んでいて納得したことがある。以前予防注射の問題で、ある権威者と議論になったとき、彼が「麻疹で子供が死ぬのは病気だから仕方がないが、予防注射の副反応で子供が死ぬのは許せない」という発言をしたのに、私は「ああ、この人とは住んでいる世界が違う」と思ったことがある。病気の予防にも、それなりのリスクがある。たとえば、健康にいいからとランニングしていて交通事故に遭うことも、骨折をすることもある。予防の利益とは、病気にならないことによる利益というより、病気になって被る不利益から逃れる期待値から、予防することで起こりうるリスクをひいて求められるものだ。このバランス感覚がない人がいわゆる環境問題の活動家というか市民運動家に多すぎると私は思っている。食品などに微量に添加されているアルコールに発ガン性があるから「買ってはいけない」といいながら「本物の日本酒」のおいしさを語るのは漫画だと私は思う。ただ漫画ですまないのが病人が絡んできた場合だ。エイズ問題に取り組んだ当初、私は多くの医療関係者が慢性C型肝炎などの患者の治療に問題を持たないのに、エイズを忌避する態度にぶつかった。これは科学的にリスクを判断するのではなく、自らの偏見におぼれて現実の世界にはありえない100%の安全を要求することだと思った。「環境問題評論家」にも私は同じ「くさみ」を感じた。科学的思考と全く逆な彼らの主張がまかり通るようでは、私たちはいつまでたっても悪質なデマ・キャンペーンに踊らされるだけに終わる。私の知人などは私が「週刊金曜日」とやった<けんか>をあきれ顔で見ていたが、私にはやむにやまれぬ思いがあった。なんといっても当時の私は、HIV感染症の患者さんに、エイズで死ぬか、それとも薬の副作用で苦しむか、という究極の選択を迫っていたのだから。この本の中で中西さんは石田吉明さんの「エイズ撲滅キャンペーンは、まるで自分たちを撲滅されるように感じる」という発言を引用し人の生を評価することの難しさを語っている。
もう一つ、これは父親である中西功に関わることだ。私は彼を「中国派の論客」としか知らなかったが、戦争中は満鐵調査部にいて、膨大な資料から日本が中国相手に戦争することの愚かさを証明して見せたという話がでてくる。「ファクトにこだわり続けた輩」と自らを表する筆者の原点を見たように感じた。
涙なしには読めない
昨日ペシャワール会から会報の号外が届いた。アフガニスタンでボランティアとして活動中に凶弾に倒れた伊藤和也さんの追悼号だ。再び前途ある日本の若者が狂信的排外主義の犠牲になったことに私は戦慄を覚えるのだが、会報の文章から伝わってくるのは怒りではなく深い悲しみであり、復讐ではなく平和への祈りだ。中村医師のお別れの言葉は、涙なしには読めない。
伊藤くんを殺したのはアフガン人ではありません。人間ではありません。今やアフガニスタンを蝕む暴力であります。(略)戦争と暴力主義は、無知と臆病から生まれ、解決にはなりません。
ペシャワール会はアフガニスタンで働いていた日本人スタッフの総引き上げを決定したそうだが、今後の事業展開がどうなるのか、大いに気になる。ただ様々なしがらみから、自ら海外の現場に出るのではなく、日本国内にとどまって海外で働く人たちを支援する立場を選択した身として、微力だがしっかり支えていきたいと思う。
怪しいサイト
最近新しいウイルス対策ソフトを買った。ついでにパソコンの動作が不安定になってきたのであまり役に立たないソフトも削除した。このころから妙なことが立て続けに起こるようになった。
ネットサーフィンをやっていると、突然「あなたのコンピューターはウイルスに汚染されています。直ちに無料のワクチンソフトをインストールしてください」という意味の英文の警告が現れる。一瞬どきんとするが、市販のワクチンソフトでもコンピューターの中身をスキャンするのに一時間程度はかかる。人が頼んでもないのに瞬時に診断してくれるような便利なサイトが世の中に存在するはずがないと無視するが、しつこくて「危険ですよ」と言い続ける。URLをみてもマイクロソフトでもGOOGLEでもYAHOOでもなさそう。一番最初にこの手のサイトに出くわしたのが数年前。きちんとした音楽関係のサイトにアクセスしようとしたら全然別のサイトにつながってしまった。当時はパニックになって画面のいうとおりにソフトをダウンロードするために個人情報を記入しようとして、はたと気がついたからよかったが、下手をすると個人名からカードの番号まで詐欺師の手に渡るところだった。
このところ日本語で同じことをやってくるサイトがあるようだ。「無料」をうたい文句にしているところから新手のウイルスかフィッシング詐欺のたぐいだろうと思うのだが、気をつけないとどこに落とし穴があるかわからない。それとも私のネットサーフィンが怪しいということなのだろうか。
忙しい一週間(その2)
金曜日の夜遅く戻って翌日午前中が仕事。2日間休んでいるうちに患者さんの状態も変わっているし書かなくてはいけない書類もたまっている。帰宅してその夜今度は長崎に。翌朝から「臨床内科医学会」という開業医向けの学会で、研究発表よりは教育講演が主体。最初のプログラムがHIV関連の教育講演で、特に目新しいものはなかったが、長崎市内でも専門医がその気で診ればHIV感染者が見つかっているという現実は、「やはりそこまできているのか」という思いがした。二日間の昼ご飯は「ランチョンセミナー」といって、スポンサー企業からお弁当が出てそれを食べながら講演を聴くというスタイル。まだアトキンスダイエットは続けているので、ご飯などは食べられないから半分以上は残すが、それでも満腹にはなる。今までどれだけ食べ過ぎていたかが良くわかる。二日目の午後は市民向けの講演会が予定されていて落合恵子が話をするという。題が「母に聴かせる子守歌」と言うからおそらく自分の介護体験でも話をするのだろうが、例の井上ひさしの一件以来私は彼女の言うことも書くことも全く信用しないので、そのまま長崎駅に直行。家に着いたのが夕方。翌朝からまた月曜日が休みだった分の仕事も片付けながら火曜水曜と往診をこなしてやっとひとごこちという感じだ。
二つの出張を通じて痛感したのが医療の電子化、IT化と個人情報の管理の重大さだ。チーム医療と言って複数の職種、場合によれば複数の職場の人間が一人の患者さんの治療に共同で関わるようになることが、IT化でいっそう進んでくると、誰でも見られる情報をどれだけ秘匿するかという難しい課題が出てくる。医者が汚い字でドイツ語でカルテを書いて、誰も何を書いているかわからない時代は遙か昔の話になった。さてどう対応しようか。大きな組織になればなるほど難しくなる。しっかりやるしかないが結構大変だ。