自らをお笑い芸人にした(?)日本版PC(politically correct)

ずいぶん前から言われているが、聞くたびにぞっとするのが、私生活という意味で使われる「プライベート」という言葉。英語でこの言葉を名詞として使う時は、軍人の特定の階級という意味以外では、「private parts」つまりは外性器のことを意味し、それ以外の使い方はない。 テレビで若い女性がこの言葉を口にしているのを聞くたびに顔が赤らんでくるのは、私の過剰反応だろうか。
性的嫌がらせをセクハラと略するのが定着したら、「○○ハラ」という言い方がやたらと目につくようになった。「ドクハラ」だの「パワハラ」だの、いいたい気持ちはわからないではないが、「いじめ」で何が悪いのかと思う。一番驚いたのが「アカハラ」なる珍語。最初「アカハラ訴訟」と聞いて、何でイモリが裁判になるんだとさっぱりわからなかった。
日本人が知らずに使っている英語風造語で多いのが「○○アップ」と「マイ○○」。パワーアップだのマナーアップだのは日本生まれの英語もどきで日本国内でしか通用しない。パーソナルコンピューターが「パソコン」と呼ばれる以前は「マイコン」という言い方がしばらくあった。このように個人使用の、非職業的なものを「マイ」というのも、独特な造語で「マイホーム」や「マイカー」はずいぶん長く使われているが、さすがに「マイ箸」には度肝を抜かれた。
ここらあたりは目くじらを立てるまでもないと思うのだが、私のいる医療現場でおかしな物言いが流行している。元々それは、アメリカから持ち込まれた医師以外の医療職を意味する「paramedical」を差別的だと糾弾する人々から生まれた。彼らによれば「para」には補助的な、副次的なとか、より劣ったという意味がある。よろしくありませんと言うことで、生まれた言葉が「コメディカル」、「co」には上下関係ではない対等の共動という意味が込められているという。しかし彼らの悲劇は、なぜPC(politically correct)=差別的な言葉を使わない、言い換えをする=の本場であるアメリカで、この言葉が生き続けてきたのかをよく考えなかったことにある。さらにちょっと英語の辞書を引いてみる手間を惜しんだことが、悲劇を喜劇にしてしまったともいえる。comedicalは造語ではない。しかもそれは日本式にco-medicalとなるのではなくcomedic-alとなり喜劇的なという意味になる。自らをコメディカルと呼んでいる人々は、医療現場で笑いをとるために働いているのではないはずだが。
もっとも「アメリカ合衆国」という福沢諭吉が作った美しい言葉(民主国家を意味する)を、わざわざ「合州国」と言い換えて悦に入った、どこかの中途半端文化人を、硬派の進歩的ジャーナリストと思い込んでいる国だもの。言葉に対する敬意を期待する方が無理かもしれない。
ああ、また嫌みを言ってしまった。