いくつかのでたらめ

今週もっとも目を引いたのは鳩山なにがしの「冤罪」発言だった。警察の違法捜査と精神的な拷問ででっち上げられた事件を「冤罪とはいえない」と口を滑らせたのは、彼の頭の悪さだろうが、本来これが司法の独立を犯す憲法違反だということが見のがされていることに、私などは恐怖感を覚える。元々日本のような議院内閣制では行政と立法が癒着しやすく司法の位置が脆弱になりやすい。<中央との太いパイプ>を恥ずかしげもなく売り物にして、中央官庁に口を利くことを己の仕事と勘違いしている陣笠のおかげで、立法府と行政の境界線がさっぱりわからなくなってきている。だからお馬鹿芸能人ばかりではなくマスコミ関係者までが「行財政改革の一環としての議員歳費の削減」などといううわごとを口走ってもそれが素通りする。警察検察のトップが裁判の中身に文句を付けるというのがどれだけ重大なことなのか、彼を批判しているマスコミさえどうやら分かっていない様子。先ほど引用した記事にも「司法行政のトップ」などという訳の分からない文言がある。
昨年精神病院に勤務するようになって参考書代わりにと渡された本の中に「精神科医はいらない」というものがあった。解説があのあほの柴田二郎としって思わずひいてしまったのだが、最初は「そんなものかな」と見のがしていた点が、だんだんただのほらだとわかってきた。たとえば帯にものっているのが日本の精神科医鬱病さえ治せないというもの。鬱病は慢性疾患だ。特に二度以上鬱のエピソードを起こした人は生涯治療を続ける必要があるというのは世界の常識だ。直らないものは直せない。そんなものを直せるといっているのは、よほど軽症の鬱しか経験していないか、他人をおとしめるためにほらを吹いているかどちらかだろう。
もう一つ気になったのが日本の精神科病院が諸外国に比べて異常に多い、また在院日数も多いという点を指摘して、日本の精神科医は腕が悪いので、治せない患者を長く閉じこめていると非難している点だ。しかし、たった今自分の身の回りを見回しても、半月やそこいらで退院できそうな患者さんはいない。長い経過で幻覚や妄想がしみこんでしまっている患者さんがいったいどうして退院できるのだろうか。
そこでふと思い出したのがドラマLOSTだ。このドラマの中に精神をやんで施設に長く入っていたハーリーという人物がでてくる。ドラマの中ではそこはmental instituteとかサナトリウムとかいわれていた。しらべてみると確かにそういう施設がある。アメリカではそこはHalfway houseとよばれ、病院や刑務所からでた人の社会復帰施設であるといわれている。日本では急性期の患者さんを扱う病院が同時に慢性期の患者さんのリハビリ施設としての機能もかねている。全然別の歴史と社会的機能を持つものをただ同じ「病院」と呼ばれているということだけで、ひとまとめにして、単純に比較することがどれだけ無理があるかわかろうというものだ。
そもそも在院日数が短いことがそんなにすばらしいことなのだろうか。私はある雑誌で、アメリカの白血病患者が病院近くのモーテルに泊まって坑癌剤の治療を受けているという話を読んで、身の毛のよだつ思いがした。抗ガン剤の注射を受けてモーテルにかえってそこで具合が悪くなったらいったいどうするのだろうか。私は医学についてはアメリカに学ぶべきだが、医療制度を学ぶ、まねをする必要は全くないと思っている。
この本の作者に知恵を入れ、でたらめを教え込んだのは誰だろうか。知りたいものだ。