今年最後の言いたい放題

忙しい、忙しいといいながら今年も最後の日になった。本当は年賀状がまだなのだがそれでも言い残しのないようにひと言ふた言。
まず薬害肝炎訴訟について。何とか全面解決に向けての道筋がつきそうだということを喜びたい。ここ数年原告の皆さんの話を主に大分の集会で聞いてきた身として、一時は厚生官僚の策謀で破綻しそうになった厳しい状況を、命がけで押し広げた原告の皆さんのがんばりに頭が下がる思いだ。それにしても、自ら厚生官僚を押さえ込むことができないままに「議員立法」という形で解決を国会に丸投げし、行政の長としての責任から逃げ出した福田および舛添の怯懦を、私は忘れることができないだろう。また自らきちんと文献調査もしないままに、厚労省の官僚の口まねをし、中には誤解や歪曲を織り交ぜてまで、薬害エイズの時の厚生官僚の理屈そのままに、原告を非難した一部同業者たちの存在も、私は長く忘れはしない。
もう一つ、パキスタンのブット氏の暗殺について。大笑いしたのがブッシュの台詞だ。彼はこの行為を

パキスタンの民主主義を妨害しようとする
ものだといった。はて?いったいどこにパキスタンの民主主義なるものがあるのだろうか。そんなもの独裁政権にあるはずはないし、ないものは妨害も破壊もできないはずだ。パキスタンはれっきとした軍事独裁政権である。何しろ憲法で禁じられた軍人が大統領選に出馬しようとして、最高裁判所からそれを違憲だと指摘されると、最高裁判事を馘首にする目的で戒厳令をあえてしいた国だ。一部の日本のメディアはこれをわざわざ
パキスタン民主化を妨害しようとする
と意訳(誤訳)してくれたものだった。さすがに大統領選の候補者たちは、民主党共和党ともにそんな世迷い事はいわなかったが。
ついでにムシャラフからアルカイダタリバンと戦うためという名目で多額の資金援助をむしり取られた揚句、その大半が対インド作戦に使われたことを知りながら、何の手だてもとれなかったのがブッシュだった。もちろん親米派のブットをパキスタンに呼び戻し、ムシャラフと和解させてよりましな政権作りをしようというもくろみはあったのだろう。しかしただの傀儡政権と、裏ではアルカイダとさえつながっていると噂される独裁者では、話が違うことにブッシュは気がつかなかったのか。それとも何とかなると甘く考えていたのか。いずれにしても「テロとの戦い」「中東に民主主義を広める」というお題目の戦争に、独裁者の手を借りるトリッキーな路線が、またここで破綻したことは間違いない。民主主義の定義を親米政権かどうかにおくアメリカ合衆国の独善ぶりは今も昔も変わらないとおもう。