「ゲイでない」という意味

先週日本では新しく農水大臣になった方の疑惑が出てきたが、馬鹿馬鹿しいを通り越してうんざりする話だった。同じ時期アメリカでは、共和党保守派の長老である某上院議員が、とある空港のトイレでとなりに座った警察官の足に触ったりしてセックスを誘ったと言う話で持ちきりだった。
かれは逮捕されて罪を認め罰金を支払ったのだそうだが、途中で気が変わったらしく「自分は悪いことは何もしていない。早くことを片付けたかったので罪を認めただけだ」と開き直ったので、身内の共和党(大統領候補を含む)からも辞任を求める声が出て渋々辞任したという。
この方は逮捕されたときに、警察官に「上院議員」という名刺を見せて「どうだい」といったのだそうだが、その気になればいくらでも言い逃れができるし、腕っこきの弁護士をやとうこともできたというのに、あっさり罪を認めた後になって「あれは間違いでした」は通らない話だ。
さて私がこの話で一番気になったのは、彼が開き直りの記者会見を開いたときにいった言葉だ。かれは妻を伴って現れて

自分はゲイではないし、ゲイだったことも一度もない
と発言した。アメリカのメディアもこれを十分つっこまなかったようだが、私にはきわめて不快な発言に聞こえた。かれはおそらく自分は結婚しているし、子供もいる。ゲイではないからそんなこと(同性を誘うようなこと)をするはずはないというつもりだったのだろう。しかし確かイタリアかどこかの統計だったとおもう(かなり古い話で記憶も定かではない)が、同性とセックスをしたことのある男性のほとんどが自らを異性愛者であると自認していた。自分自身を異性愛者だと自認しているということ(ついでに異性と結婚しているということ)と、同性にモーションをかけたかかけなかったかは何の関係もない話だ。
世の中には人間を同性愛者と異性愛者に完全に二分できると思いこんでいる人が多数いるが、人の性的アイデンティティーはそんなに簡単に割り切れる代物ではない。私はエイズ問題と通じてそのことを学んでいった。こうした混乱を起こさないように、医療の分野ではMSM(Men Sex with Men)という言葉が生まれた。
もう一つ、このもと上院議員さんは共和党の看板である「家族の価値」を高々と掲げた人物だったそうで、当然同性同士の結婚に激しく反対していたという。自分の内なる性的指向と政治的建前をどう振り分けて生きてきたのか、気になるところだ。