一つの仕事の終わり(?)

おそらく今まで一度もブログに書いたことのない仕事がある。別に秘密にするようなことではないが、今まで書く機会がなかっただけのことだ。それはクリニックをやっている時代から続けてきたある障害児の就学支援だ。今の職場でもその仕事を続けさせてほしいと言うことが、就職の際にわたしが出した条件の一つだった。
それは医療的なケアの必要な障害児を往診で診るというものだった。「医療的なケアの必要な障害児」という範疇には幅広い障害が含まれるが、多くの場合そのケアは親の手にゆだねられる。それはふつう(と言う言い方もおかしいが)の学校でも養護学校でも話は同じだ。子供が就学を希望すれば、親が毎日つきそうことが学校から要求される。毎日のことになればその負担は大変大きなものになる。回り回って親の負担を少し肩代わりする仕事がわたしのところに持ち込まれたのが7~8年前だったろうか。
細かなことはプライバシーの関係があってかけないが、仕事としてはそれほど難しいものではなかった。わたしにとっては小学校に上がる前から一人の障害児と関係することで多くのことを学べたことが大きな財産になっている。その子のゆっくりとしたしかし着実な成長や、その子と関係することで起こってきた周囲の意識の変化を補佐役としてみることができたのは得難い経験だった。、最終的には行政が動いてしっかりした就学支援の態勢ができたできたことが一番の成果だったとおもう。
その子の成長に伴い医療的ケアの必要性もほとんどなくなって、そろそろわたしが往診を続ける意味も薄れてきたように感じている。先日夏休み前の最後の往診でその子から学校で自分で作った野菜をもらった。夏休み明けには今後のことを話し合うことになるだろうが、往診をやめるかどうか、まだ迷っているところだ。