昨日の続き

さて今日は勤務先の病院から日記を書いている。一人非常勤のドクターが転勤になって、週一回の夜勤に穴が開き「代わりが見つかるまで」と言うことで何十年ぶりかの当直だ。そう忙しい病院でもないから当分は大丈夫だろうが、とっくの昔に五十の坂を越えた身で、いささか心配。
ジョージオーウェルの本を読んでいて気になったことを書き留めておこうと思う。60年以上前に書かれた本だが、所々「ドキッ」とさせられる言葉があった。以下は言葉通りではないが。
まず内心満足している環境に不満そうな顔をするインテリ。声を大にしていうほどのことでもないが、私は個人的には経済的にも社会的にも全く困ってはいない。ライオンヘアーだの田舎のお坊ちゃんだのが年寄りをいじめるのはすかんが、かといって私個人は当分の間直接の被害者ではない。
愛国主義保守主義とは違う。日本では「愛国心」といえば、きわめて偏狭な民族主義や排外主義を唱える人々の独占物だった。それに反発する進歩的インテリの背後には、おおよそ160年前のマルクスの呪いがあったはずだ。すなわち「労働者には祖国はない」という例のやつだ。しかし国民国家が確立していなかった19世紀初頭と21世紀を同一視するほどばかげたことはない。ましてや、どこかの一党独裁国家で酒を振る舞われながら、「日本軍国主義の復活」でおだをあげることを<国際主義>と勘違いしてきた某政党は、確かに滅びるべくして滅んだ(失礼まだ消滅はしていないらしいが、なくなったも同然と言って間違いではないはず)といえるかもしれない。
愛国主義と結びつかない革命はかつて存在しなかった。翻って考えてみれば「社会主義革命」といわれたロシア革命にしろ中国革命にしろ(その両方の指導者を私は評価しはしないが)、外国からの脅威に対抗できない支配層への不満が背景にあった。
以上をまとめると、まとめになりそうにないが、隣国を「嫌いだ」ということで不満を解消する一部の人々への、確実で有効な対抗軸を見つける必要があろうかと思う次第。まだ考えがまとまらないな。