「ハッピーマンデー」なんて誰が言った?

先月から週明けが異常に忙しい。原因は連休。月曜が休みの週は、火曜日がめちゃめちゃ忙しくなる。その日は私は外来にない日だが、たいがい一人か二人予約なしの患者さんが見える。ついでに必ずと言っていいほど入院がある。そうするとその後の予定が全部狂ってくる。元々月曜日にしなければいけない仕事が火曜日以降にずれ込んでいる上、火曜日には定期の往診がある。そうすると入院患者さんの診察が2日ほど遅れる形になる。
日本人は働き過ぎだから法律で連休を強制的に作った方がいいという話が、この「ハッピーマンデー」の理由だったとおもう。しかし一週間でしなければいけない仕事の量が決まっている場合、休み明けの仕事量が増えるのは当たり前。それで何かのトラブルが起きても、法律を作った人は知らん顔だ。
元々医療は技術革新が労働生産性の向上に結びつかないという性格を持っている。ここ四半世紀で医療現場には画期的な技術が様々登場したが、昔一人の医者が一日で40名の患者さんを治療するのがやっとだったが、80名の患者さんをみれるようになったというようなことはない。ろくに患者も診ないで治療する不届きな同業者もいると聞くがそれは「技術革新」とは何の関係もない。
医療の労働生産性をどう考えるかはいろいろ議論もあるところだが、医療に関わる社会的な生産性を一番上げる手段は、治らない病気を治してしまう技術の開発だろう。この点で一番画期的な技術はワクチンの開発だろう。種痘は天然痘を撲滅した。バイオテロなどがなければ今後人類が天然痘に対して医療費をかける必要はなくなる。
これよりは遠回りだが、重い病気にならないようにする技術も、重病の患者にかかるコストやそれで失われる労働力を考慮すれば、社会的費用を軽減することにつながる。この点予防医学はもっとも費用対効果に優れていると考えられているが、社会的背景もあり個人の生活スタイルを変えることには困難が伴う。結局疾病で失われるはずの労働力を医療従事者の労働を増加させることで予防するという道しかなくなる。言い方はおかしく聞こえるかもしれないが、医療が今までやってきたことは経済的にはそういうことになるはずだ。しかし「失われるはずの労働力」は、通常医療に関わるメリットとして勘定に入れられたことがない。
自分のやっていることが果たして国家社会のためになっているかどうか、自信はないが、平均寿命が延び慢性疾患が増えてくる状況では、医療がしなければいけない仕事量は増えこそすれ減ることはない。にもかかわらず医療費を邪魔者のように扱い「医療に競争がないからいい医療が受けられない」という子供じみた議論が我が物顔で横行する。正直現場は疲弊している。「ハッピーマンデー」はいらないから医療現場に医者、看護師を増やしてくれ。