贅沢と日常の境

昨日下の娘が連れ合いと一緒に来てくれた。午後から娘夫婦と私たち、あと母を連れてスーパーマーケットへ。出産予定日まであと二月ない。もう準備をしておかないと間に合わないので、生まれてくる子供のための買い物をした。肌着だ、オムツだ、布団だ、手袋だ・・・・。買わなくてはいけないものが山のようにある。沐浴用の小さな浴槽からお宮参り用のドレスまで何でもそろっているところで、5人であれがいい、これもかわいいとわいわい言いながら品定め。一時間あまりでショッピングカートいっぱいになる買い物をした。値段は別にしてこんなにたくさんのものを一度に買ったのは生まれて初めてだ。娘夫婦には身の丈にあった生活をしてほしいので、出来るだけ出しゃばらないようにしたいと思うのだが、初めての孫にはついつい財布のひもがゆるむ。ここまでは「贅沢」とは言えないように思う。
私が最近のニュースで気になったのが日本の米が中国で発売というものだ。どこかの国の頭のとってもいい政治家が「アルツハイマーの人でもわかる」とか何とかいった例のあれだ。
これはおかしくないのだろうか。周知のように日本は米の輸入を制限している。海外の米には高い関税を課し、数量制限もしているはず。日本の農業を守るためだ。食糧自給率が低すぎるのだという話は耳にたこができるほど聞かされてきたはず。今度の選挙でもどこの党も「農業振興」といって補助金の上乗せを公約に掲げている。
自分のところは輸入させないものを、「売れるから」と輸出はするというのは、理屈が通らないのではないか。それとも米がだぶついているのだろうか。
先進国が補助金を出して作った農業生産物が発展途上国に輸出されて、その国の農業を破壊してきたのはれっきとした事実。これを「善政」とぬかしたのが権威主義の文豪=井上なにがし。今回のケースはその範疇には入らないが、商習慣として考えても、おかしなことであるのは間違いがない。
どうやら日本産の米とは国際基準からいえば一種の贅沢品であるらしい。実際に中国ではそれが<売り>になっている。贅沢品に高い関税を課すというのはいいのかな。ま、そんなことをいっても誰も喜ばないだろうが。