同窓会、および のようなもの

困ったことに日記が週報になり、月報になってきて、そのうち四季報から年報になってくるかもしれない。それぐらい更新が遅れてきている。政治はかみつくのがばかばかしくなるほど低レベルだし、景気は悪いし、仕事をしていたほうがよほど気がはれる。しかしそれはいいわけに過ぎない。
発言することに対する疲労感みたいなものが、ここ数年どうやら私の中に住み込んでしまっている。これは決していい傾向ではないのはよくわかっている。
今仕事以外で何をしているかといえば、もっぱらポッドキャストで科学系や医学系のニュースをひたすら聞いている。残りの時間、ジョン・グルシャムの「Innocent Man」というドキュメンタリー小説を聴いていた。1980年代のアメリカの田舎町で起きた二つの殺人事件とそこで生まれたえん罪事件を題材にしたものだ。見込み捜査と長時間に及ぶ取り調べ、自白に偏重した証拠調べ、エセ科学的な「鑑定」など、日本のえん罪事件とうり二つの構造がそこにある。そこにはアメリカの法廷ものに出てくるような敏腕弁護士も常識ある陪審員もいない。日本と違ってきているのはアメリカではえん罪を減らす努力がつみ重ねられているのに日本ではその構造をなくそうという動きがほとんど見えないということだ。先日日本の黒い夏をみたが、見込み捜査をする警察と批判精神を持たないマスコミが無垢の被害者を容疑者扱いする恐ろしさを再び感じた。そんなことを思っていたら先日本屋で某元総理大臣推薦の本というのが目にとまった。「なぜ被害者より加害者を助けるのか 」。刑事被告人は刑が確定するまでは無罪とされると言う憲法の規定がどこかに飛んでいってしまったようなものを、一国の代表まで務めた人間が推薦するというのは漫画のいきを超えている。ものを書いたりいったりするのがおっくうになるのはこんな時だ。
そんな鬱々とした私だが、とても楽しいことがあった。先週の土曜日、F市で懐かしい人たちと会った。20年以上前、私が働いていたN病院で一緒に仕事をしていた医師と医局秘書をしていた事務の人が私を囲む会を開いてくれた。そこの病院は地域の救急病院で毎晩のように救急車が飛んでくるところで、「野戦病院みたいだ」といわれていた。そこで大学を卒業したばかりの若いドクターと一緒に泣いたり笑ったりしながら過ごした日々は、私にとってかけがえのないものだったと、今にして思う。年齢構成は幅広い(私が飛びはねて年取っている)が、いわば同窓会のような雰囲気のものだった。来年私の還暦にあわせてもう一度会を開いていただけるという。ひたすら感謝だ。特にM県からわざわざ飛行機で来てくださったK先生にはとても会えると思っていなかったので言葉もない。
月曜には今度は高校の同窓会の案内が来ていた。こちらは来年の正月だという。気が早いことだがスケジュールは空けておこうと思う。