違和感

ここ何日間かのニュースを見聞きするうちにいくつか納得いかないなと思うことがあった。一つはオリンピックのたいまつリレーに関する騒動。そもそもあのたいまつには何の宗教的な意味づけもされていないというのに、「聖」火と言い習わしているのはどういうことなのだろうか。またそのたいまつの火を受け継ぐことが国家的な一大事業でもあるかのようにとらえられ、賛成派、反対派がぶつかり、時には消火器まで登場するというのも、一種の漫画だと思う。それにしても理解しがたいのが、アジア諸国で、中国国旗を掲げてリレーが行われる道路脇を固めた数千人の中国人留学生の姿だ。長野の場合、あるテレビ番組の報道では動員をかけたのは中国大使館だというが、それほど裕福な生活をしているわけでもない彼らが手弁当で全国から集まったということだ。私にはその動機がわからない。愛国歌を歌い国旗を高く掲げた彼らは、自らを愛国者と自認しているように見える。しかし国家としての中国と彼らの関係はそれほど親密なものだろうか。なるほど憲法上中国国民は中国の主権者であるとされてはいる。しかし参政権を剥奪されて実質的に国政に参加できない彼らと、一握りの国家官僚とその庇護のもとにある新興企業家の持ち物である国家としての中国との関係は、戦前の総督府のもとにあった台湾・朝鮮住民と日本との関係以上に密接なものではない。バイトで生活をしている留学生すべてがパワーエリートの子弟だとは思えないのだが。
それとは全く逆の違和感を感じたのがこの前の日曜日にあった山口の補欠選挙だ。ガソリン税の継続と後期高齢者医療制度という、これ以上わかりやすい争点はないと思える選挙の投票率が、前回の郵政選挙投票率を下回ったという。各政党が国会で占める議席の比率が変化すれば我々の普段の生活が変わることを、ここ何年かの経験で学ぶべきだと私は思うが、それさえ実感できない人がいるというのだろうか。
もう一つ気持ちが悪いと思っているのが、アメリカの大統領選挙。今年初めには民主党の本命で、年末の本選でも勝てると思われていたオバマ(音にするとオバーマのほうが近い)候補が、マスコミや対立候補からの攻撃にあってどんどんその主張を保守化させている。一番最初にやり玉に挙がったのが彼の連れあいの発言だった。彼女は夫を多くの若者が草の根で支えている光景に感激し「自分は大人になって始めてこの国を愛せると感じた」と語った。私にはごく素直な感想に見えたものが、マスコミには「非愛国的」と映ったらしい。ごく最近ではオバマ候補が通っていた黒人教会の牧師の説教が「反米的」とたたかれている。「変革」を一枚看板にした彼の求心力が、こうしたキャンペーンのたびに低下しているように見えて仕方がない。どれだけ信心深くて保守的かが大統領の資質であると思われているなら、「変革」は言葉だけに終わってしまうだろう。期待はしていないが小沢民主党はどうかな。